【ヨガ哲学の名言】モデルになれなくても、美しくはなれる!

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コンプレックスなんて吹き飛ばせ!

「本当のヨーガを続けると自然に健康になる、美人になります。健康になれば美しくなるんです。姿勢が美しくなって、血色がよくなって、物腰がやさしくなります。だからヨーガをやったら美人になるというのは間違いではありません。」

佐保田鶴治

今や日本のヨガ人口は、約1,100万人!(10人に1人がヨガ実践者!スゴイ!)と言われるヨガ業界において、ダイエットが一番のキーワードである。ヨガをダイエット目的で始めたという人は多いはず。ヨガスタジオでは、ビチっとしたレギンスも履きこなす、すらりとスタイルのよい素敵な女性たちばかり。うっとり。

当然、テツコがヨガを始めたのも、彼氏と別れて暇だし、痩せて、また素敵な人をゲットしたいっていう下心からであった。海外セレブやモデルさんがみんなライフワークにしていると聞くと、一気にモチベーションも上がり、テツコのヨガ&ダイエット生活は始まった。

テツコも痩せたには痩せた。うん。60kgくらいから50kgあたりまで。10kgすごいよね!うん、やせた。しかし、ヨガそのもので痩せたというより、ヨガに夢中になったことで負けず嫌いな私はポーズができない自分が嫌になり、自然と食事を減らすようになったという感じだった。

ヨガは原則2時間前に食事を済ませておくことがルールで、食べ過ぎたり、30分前くらいしか時間が経っていない時のヨガは、いつも以上に体が重く感じて、とてもしんどくなる。おなか重いなぁ、胃がしんどいって言ってるなぁ。それが嫌で、自然と食事の量を減らすようになっていった。

「食事を純粋なものにしていけば、アーサナはやりやすくなります。肉を食べる量を減らすと、硬かったからだが柔らかくなるからです。アーサナとプラーナーヤーマと瞑想を規則的に行っていくころで自分の中に意識変化がおこり、ラジャス的あるいはタマス的な食べ物に関心が湧かなくなるのです。(本質と実践より)」

その通りだった。バガヴァギット・ギーターでも「アルジュナよ ヨーガを行ずるには あまり多く食べ過ぎてはいけない また小食に過ぎてもいけない」という言葉もある。先日、体操の金メダリストの内村航平さんも「朝食を食べない方が体が軽いから食べなくなった。」って言っていたなぁ。

そもそも現代人の食事は過食傾向にあるから、小食にするくらいで十分なのだろう。インドでは、ブラフマンという聖職者たちは、現代においても肉を食べないベジタリアンだという。食欲も煩悩の1つであるということを知り、ほどほどにすることの大切さを学んだ。そんなわけで、ヨガを毎日続けながら自然とテツコの身体は小さくなった。

よし!ダイエット成功!しかし、喜んでばかりはいられない。鏡を見ると、「やせたし、モデルさんみたいになってる!?」と確認する。鏡は正直。「いや、モデルにはなっていない。あなたはあなたよ。」と答える。ちなみに、ヨガで、身長は1cm伸びた。体重は減り、身長は伸びた。うん。確かに。

しかし、モデル体型にはなっていない。確かに背筋が伸びて姿勢も良くなった。しかし!繰り返そう!モデル体型にはなっていない。太ももは太いし、日本人平均身長158cmだし、足が長くはなっていないから、モデルさんには、とてもではないけれど、なれかったみたい。

しばらくそのことに究極的に悩み続けることになる。せっかく痩せたのに、あのモデルさんみたいにはなっていない。そんな自分ではダメだ。せっかく煩悩をコントロールできたのにスタイル美人になれていないではないかと、自分を責め続けた。

「痩せたい」という煩悩から、「綺麗になりたい」という煩悩が追加されただけのようだった。煩悩が増大したのように、いつも食事のことを考え、いつも痩せることを考え、思うように結果は出ないダイエットに心が縛りつけられてしまったかのようだった。ヨガで自由になるはずが、返って不自由な自分がそこにはいた。

そんなのはヨーガの本質ではない。ダライ・ラマは語る。「解決できないことを心配しても無駄だ。」

それでも、「もっと痩せたい、もっと痩せたい。」と欲望が募っていった。モデルになれないってすぐにあきらめればよかったのに、しばらく、その執着を手放すことができなかった。「確固として無執着の刀で、執着を切れ」とバガヴァギットギーターの中にも述べられているのに。

「ヨガ・スートラ」では、自分と肉体の関係をこんなふうに説明している。『「どう?私の身体、細いでしょ?」「どう?私、細いでしょ?」・・・はて誰が細いのか?自分か、それとも身体か?自分以外のものとのこの同一視、それがわれわれのあらゆる苦の原因である。』

つまり、自分と自分の肉体を同一視してはならない。同一視することで苦痛が生まれると。確かに。痩せたはずなのに、返って、自分が苦しんでいる。その状況はおかしい。肉体にばかり取り憑かれていた。本来、大切なのは肉体ではないはずだ。

「人は体と自分を同一視し、それによって、アハムカーラ、すなわちエゴが生じます。だからこそ、イエスは世の人々に、神になれるように小さな私(I、エゴ)を切断する(横棒を引いて十字にする)ように、と述べたのです。」とサイババも説明している。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダはこんなふうに説明する。

「人はみずからのことを、自分は小さな肉体であると思った瞬間に、他者を犠牲にして自分自身をまもり、保護し、良い状態を維持したいと思うようになる。それにより自分と他者とは分かれた存在となる。そして、この区別を考えた途端に、すべての災いへの扉が開かれ、すべての不幸へと導かれるのだ」

自分は肉体ではない。肉体にばかり囚われてはいけない。

そこで、テツコはこんな風に考えることにした。モデルにはなれないけれど、すべてが自分の思い通りにはならないことを知っている人の方が、謙虚で人に優しくなれるし、人として素敵なのかもしれないと。自信満々すぎるよりは、少し憂いや哀愁のある人の方が人を惹きつけるかもしれない。このようにして、納得?あきらめる?ことにした。

佐保田鶴治いわく、「本当のヨーガを続けると自然に健康になる、美人になります。健康になれば美しくなるんです。姿勢が美しくなって、血色がよくなって、物腰がやさしくなります。だからヨーガをやったら美人になるというのは間違いではありません。」と語っている。

痩せることと美人は必ずしもイコールではないということ。そうそう、他者基準の美人ではなく、自分の中の美人になれば良いのだ。現代のモデルさんや俳優さんとついつい比べちゃうんだよね。良くも悪くも、誰かの決めた価値観で、私たちは生きている。よし!自分軸を取り戻そう!ヨガを実践して、心も体も健康美人になろう!

しかし、時々自分と肉体を同一視をして悩んでしまいそうな時には、やっぱり、マントラを唱えて忘れないようにしよう!

『「イディ ナー デーハム 私は体ではない」

「ナー マナス 私は心ではない」

この悲しみや困難、そして幸福や喜びも、私のものではない。私はこうした二元性を超越している。」と自分で言い聞かせながら、完全に平静な状態を保ち続けなければなりません。』(サイババより)

すごい!「心でもなく、体でもない」なんて、すべての悩みが吹っ飛ぶよう!わーい!こうして、また、テツコは強くなった!

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

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