【ヨガ哲学の名言】人は見た目が9割と言うけれど、思考が顔に出るから要注意!

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パーツとは別問題!ルッキズムを超えてしまうのだった。

「顔はレコード盤のようだ。何でも考えることはすぐに顔に録音される。あらゆる邪悪な想いは、ノミか針で彫るように、顔の表情として刻みつけられるのである。だから顔には、憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、恨みなどの良くない思いから受けた傷跡が残っているのである。」

スワミ・シバナンダ

大失恋の後、パタッと恋愛運がなくなり日照り女となったテツコは「神様に見捨てられたんだ。なんで私ばっかり不幸なんだろう。」と毎日心の中で叫んでいた。いや、叫び続けていた。心の中で叫んでいる言葉って天にも通じるという。

確かに心の中で何度も何度も思っていることって心と身体にものすごい影響を与える。「あいつなんて嫌いだ。」と何度も何度も思って、自分にも他人にも良い影響がある訳がない。

「年をとると、顔に出る」というが、その通り。充実しているかどうか、幸せかどうか、不幸かどうか、満足しているかどうか、人を憎んでいるかどうか、秘密を抱えているかどうか、など恐ろしいほど顔は語る。美しい、美しくないという以前に、顔のパーツ以上に、圧倒的な感情のパワーが顔には表情に宿る。ある意味、恐ろしい。

ここからはスワミ・シバナンダの言葉。

「顔はレコード盤のようだ。何でも考えることはすぐに顔に録音される。あらゆる邪悪な想いは、ノミか針で彫るように、顔の表情として刻みつけられるのである。だから顔には、憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、恨みなどの良くない思いから受けた傷跡が残っているのである。その人の顔のシワのようすから私にはその人の心のありさまがすぐに読み取れ、その人の心の病も自動的に診断できるのである。」

こりゃ、すごい名言だ。顔がレコード盤。考えていることが録音されてる・・・。ムムム。聖者たちは、アルカイックスマイルというか、たくましい強さの中の優しさを併せ持った微笑を浮かべている。心をコントロールしているという穏やかさが表情に表れている。

ラーマクリシュナ、ヴィベーカーナンダ、ラマナ・マハルシ、アイアンガー、パラマハンサ・ヨガナンダなどの聖者たちの写真を見るにつけ、もう大の大人なのに、無邪気さも感じる。

「心はサットワ・ラジャス・タマスの3つのグナから構成されている。サットワは純粋、光、喜び、善良を意味し、ラジャスは情熱、活動、タマスは不活発、鈍さを表している。」そう、聖者たちはまさにサットワであるから、無邪気さ純粋さが表情に表れているのだろう。ヨガを一途に愛して神を信じている純粋さみたいなものが表情にも表れているような気がする。でも、同時に、厳しい修行を乗り越えた強靭さも感じさせることも忘れてはならない。サマーディを実現した安定感が彼らの表情を作っている。

当時のテツコは正直、仕事にも満足できず、彼氏もおらず、自分のことも嫌いになりつつあるという最悪の状況にあった。でも、「自分は不幸だ!」なんて心の中で叫び続けるなんて、こんなことを何年も続けてもきっとダメになるとは分かっていた。このままではきっとひどい形相の女になるに違いないと思った。では、そんな最悪な女にならないためにはどうしたらよいのだろう。何が、体を作り、性格を作り、表情を作り、運命を作るのだろうか。

『「考えは人を表す」「人は思考によってつくられる、考えているものに人は成る。」自分が強いと思えば、強くなるし、弱いと思えば弱くなる。馬鹿だと思えば馬鹿になる。自分が考えているものに成るのであるから、自分で自分の性格をつくっているのだ。』

確かに納得だ。朝、前髪がうまく決まらない日、「かわいくないなぁ」って自分に自信がなくなる。(別にかわいいとは思っていないけれど、自分の最大値の中ではという意味(笑)朝メイクののりが悪い時もそう。こうして、思考が行動を変え、結果的に思考が運命をつくるのだ。

悪い思考を脳内で繰り返すことの危険性をご理解いただけただろうか。思考→性格→顔(表情)→行動→運命といった具合に、思考は様々なことに影響を与えているから、自分の運命を変えうるファクターになっている。とても重要なのだ。「人は見た目が9割」という本がとても話題になったが、見た目というのは思考が顔に表れていると考えると、ある意味、納得である。

さらに、頭の中で自分を責め続けて反省していれば、一見、自分を内省する良い人のように思えるかもしれないが、罪悪感で自分を責めるのも良くないことだという。では、どのように悪い思考を克服できるのだろうか。

『不純な思いを何度も重ね、それを繰り返すことによって悪い考えがはびこる。悪い考えはすぐに追い出した方がよいが、追い出すのがむずかしい場合、反対に、神のことを考えなさい。悪い考えをやっつけるのは、高潔な考えで相対するのが一番の矯正方法である。神の名を毎日千回唱えれば、繰り返すごとに良い思考は力を増す。「私はブラフマンである」と毎日唱えると、自分は宇宙の魂、ブラフマンだという考えが強くなっていく。それとは反比例して、自分は肉体だという考えはだんだん弱まる。』

なるほど。「失恋を乗り越えるには、新しい恋人を作る」ことが手っ取り早い解決法だというけれど、そんな感じなんだ。悪いことばっかり、マイナスなことばっかり考えていたら、神様のことを考えて見る。とにかく、悪いことを考えている時点で、体は不健康だし、マインドも不健康だから、違う時間を作ることって大切だもんね。

こないだ、仕事に行き詰っていて悩んでいる友達がいたから、「仕事1点にフォーカスするんじゃなくて、趣味でも作ったら?」ってアドバイスしたな、そんな感じか。どうしても行き詰っている時って、視野が狭くなりがちだから、視野を広げるのがまず大切で、目の前に集中するのは大切だけれど、集中しすぎて周りが見えなくなって執着することとは違うもんね。

全然違うところに目を向けた方が案外うまくいくことってある。確かに、神様みたいな壮大すぎるものに想いを馳せるのは良いかもしれない。

そして、なかなか趣味が見つからない、なかなか悪い思考が追い出せないっていう人は、簡単に実践できるマントラを唱えればよいのかもしれない。マントラはネガティブではないポジティブな言葉だし、マントラがもたらすヴァイブレーションを体に響かせるだけで元気が出る。もちろん、ヨガも合わせ技で、体を動かすとポジティブになれる。マントラはオームでも神様の名前でも良い。何度も繰り返し唱えることによって心は浄化される。

しかし、悪い思考を克服するだけでは物足りない。それを乗り越えて、いかにポジティブに前向きに生きていけるか。そこまで考えてこそなお、運命を変えることができるのではないか。テツコはそう、貪欲なのだ。悪い思考を追い出して、運命を変えたい!

ずばり、そのために必要な力が「意志力」である。みなさんも願い続けていたら叶った、思い続けていたら叶った、祈り続けていたら叶ったというような奇跡にも近い経験をしたことがあったのではないか。背景に努力があったことは間違いないが、おそらく努力と「意志力」があったから実現した素敵なことが人生では起こる。

「強い意志は、その強力なパワーによって、成就への道を自分で切り拓いていきます。まさにその強さによって、その意志が大気中にある種のバイブレーションを起こすのです。自然は秩序、組織力、効率の法則を道具として使って、意志のパワーを発揮する人に好都合な環境を出現させるのです。意志はその強さを、正当な目的、気高い動機、そして世界のために善いことをしたいという尊い思いから引き出します。強い意志は決して抑圧されてしまうことはありません。それはいつも自分で道をみつけます。」

おそらく、テレパシーも似たもので、ある人のことを考えていたら、電話が来たり、メールが来たり。そんなこともあるもんだよね。強い意志力があなたを変えるかもしれない。「たとえ誰かにフラれたとしても、誰かがきっとあなたを好きになってくれる」みたいなそんな前向きな意志力も良いのではないか。悪い思考と戦いながらも、決して負けない強い意志力で、体も思考も性格も行動も人生も変えていこう。

テツコの場合、毎日自分を責めていた頃には戻りませんように。ある意味、地獄だった。自分だけが自分の最大の理解者なのに、自分が自分を愛せないのではつらすぎる。そんな日々を送るのはもうやめよう。あの頃、顔も黒ずんでいたように思う。姿勢も猫背になったように思う。暗黒時代の自分に戻りたくない。

「不幸を習慣病にしない」(ヴィヴェーカーナンダより)こと、そう、自分で自分を不幸にはしない。最後は、アシュタ―バクラ・ギーターより。「幸せでありなさい。あなた自身を愛しなさい。」自分を愛してあげよう。自分を信じてあげよう。自分を励ましてあげよう。

そして、笑顔は外見を上回る魅力のトップオブザトップ!元気のない時ほど、スマイル!ニコって笑ってみよう!

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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