【ヨガ哲学の名言】運命をヨガ的に考える

yoga

運命は変えられると思って、積極的に生きる!

「あなたの人生に最も適した道は、理想と現実の生活との間で妥協を図ることかもしれません。

しかし、意志あるところに道はある、ということを忘れてはなりません。」

パラマハンサ・ヨガナンダ

われわれの運命は決まっているおのか、人智に及ばないものなのか、人生なんてしょせん神様のいたずらの産物なのだろうか。運命をヨガ的に考えて見る。人生は先が見えない。先が見えれば楽になれるのに、誰にも分らないのだ。

先が見えないから、素敵なんだなんて言うけど、本当なのかなぁ。

今、目の前の苦境がいつかの幸福につながるかもしれないし、今、目の前の幸福が明日消えてなくなるかもしれない。「一寸先は闇」とはよく言ったもんだ。将来が分からないということが我々に絶望を与えるのか、はたまた希望を与えるのか、実に難しい。

「この世には4種類の人がいるといわれています。闇に生まれて闇に向かう人。闇に生まれても光に向かう人。光の中に生まれても闇に向かう人。光の世界に生まれて光の方へそのまま生きる人。(こころのヨーガ赤根彰子より)」

将来が見えないから、人間は迷いながら、光にも闇にも進む。人生のこの見えない不透明な世界に彷徨う人間をパラマハンサ・ヨガナンダはこんな風に表現している。

『何百万という幼児が目的地を知ることなく「人生の道」を歩かされ始めます。その動きはゼンマイ仕掛けの小さな玩具のようです。線路のないころを走っては、途中で出会うあらゆるものに何であれ、ぶつかってばかりです。そうした無目的な人生の旅は大多数の人の運命です。なぜなら人生のスタートの時点で、人は正しい目標が向けられておらず、また、はっきりとした道を歩み続けるのを助けるような十分に準備されたパワーをもたされていないのです。この人生の舞台で、ほとんどの人は操り人形のようにふるまい、環境や生まれながらの本能や運命に弄ばれるのです。人々は夢遊病者のように仕事をこなしながら生きています。』

確かに。人生初心者の私たちは、おもちゃみたいに、ぎこちなく生きているだけなのかもしれない。テツコには、時が止まったように何も行動できなくなった1年間がある。ただただ自分の無力感に抵抗する力が湧き出てこない、ただ流され、ただ受け入れるだけの生活。

どうせ人生は自分の思い通りになんてならないのだから、それで良いやって。ことごとく、すべてを諦めて、自分を変えるための行動ができずに、毎日心も動されることなく生きるだけ。

朝ごはんを食べて仕事に行き、心を込めずに仕事をして、夕ご飯を食べて寝る。毎日、こんな生活だった。人を誘うこともなく、誘われたら行ったり、断ったり。こうして、実直に悪いことをせず、ただ生きてさえいれば、いつかは報われるかもなんて考えて、どこかで他力本願だった。

でも結果、その1年間は無だった。悪い意味の無。何も起こらない。何も生まれない。将来につながる何かを一つももたらさない。将来の種を一切まいていない状態。それはそうだ。消極的では何も起こらない。そんなに甘くない。

佐保田鶴治先生は語る。

「本題は運命が決まっているかどうかということではない。運命に対してあなたはどう向き合っていきるかということだ。運命は自分で作ったのだから、自分さえ改めれば運命は変えられると思って積極的に生きるべきだ。」

ヨガ哲学では、「人間の幸せは内側にある」「自分をあるがままに受け入れることが大切」という自分を無条件に肯定することを習った。その言葉は自分を一時的には幸福にしてくれた。

だから、それをテツコは、勝手に自分なりの解釈で積極的な行動に向けるのではなく、何でも受け入れて消極的になることと置き換えて生きるようになっていた。何もしなければ何も起こらないから楽。何もしなければ傷つかないし、傷つけない。

タマスのような状態で無気力で怠惰そのものだった。ヨガだって、万能ではない。解釈を誤れば、自分から望んで闇に向かって行ってしまう。何だってそう、どんなに優れたものも使い方を謝れば、間違った方向に進んでしまう。

でも佐保田先生はやはり一歩も二歩も先に進んでいた。

「受け入れることは単なる受け身の姿勢ではなく、積極的に生きることである。」と。

前世もある、カルマもある、運命もある、宿命もある、だからって、消極的に生きるべきだと言っている訳ではない。精一杯生きるのだ。不平等もある、不条理もある、世知辛い世の中であっても、負けないように積極的に生きるべきなのだ。

さらに、聖者が言葉を置き換えたように、こんな風に語るのだ。

「あなたの人生に最も適した道は、理想と現実の生活との間で妥協を図ることかもしれません。しかし、意志あるところに道はある、ということを忘れてはなりません。」(パラマハンサ・ヨガナンダ)

人生は理想通りにならないことばかり。妥協を強いられ、悔しい思いをするかもしれない。たとえそれが妥協でも、せめて「最上級の妥協の道」を選ぼうではないか。「意志」が人生を動かすこと、それを経験則で感じているはず。

今、悩んで何もできなくなっている人へ、あなたが本来持っているはずの意志の強さを感じてみよう。

ヴィヴェーカーナンダは精神的に強くなるためにこんなことをすべきだと言う。

「1日の予定表を作り、その1つ1つの予定に自分の全身を集中させて実行してみてください。現在の1刻1刻をよく生きてください。否定的な考えや不必要な心配が心に現れたら、いつも神聖な名前や言葉(ブッダ・キリスト・シヴァ・クリシュナ・ラーマクリシュナ・あるいはオームなど)や何か肯定的な言葉をしばらく心の中で繰り返し、それから再び自分の予定に集中してください。」と。

ただただ、今ある自分に集中することだ。大先輩たちの言葉を胸に、生きていくんだ。

「生きている現在のことに自分の注意を向けなさい。未来はそれ自身で面倒を見るでしょう。未来のことを心配しないようにしなさい。(ラマナ・マハルシ)」

「漠とした未来に生きるなかれ。実在する今を生きよ。(アイアンガー)」

運命に落胆して、消極的に生きるのではもったいない。

サイババは

「あらゆる生き物の中でも、人として生まれてくるのは極めて稀なこと。」だと言う。人間として生まれただけで貴重なことだ。この生に感謝して、全うしよう。

こうやって、聖者たちも言葉を並べるだけでも、人間って本当にすごいなぁって思う。捨てたもんじゃないよなぁって。人生が思い通り行かなくても、何か必ず光はあるはずだ。樹木希林さんも言ってたなぁ。

どんなに今、絶望の暗闇の中にいても、一筋の光は絶対にある!

自分で自分を信用できなくても、聖者の言葉はなぜか、信頼できる。しょうもないテツコの人生も、また、明日から頑張って生きてやるぞー!なんて、思えるから不思議だ。

みなさんが自分から闇に向かっていきませんように。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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