【ヨガ哲学の名言】失敗トキドキ成功!聖者は失敗と成功をどう考えた?

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失敗との向き合い方を知ると、モチベーションUP!失敗を悲観しすぎずに。

「自分の欠点や失敗にくよくよしてはならない。なぜ失敗したのかだけをよく考え、もう一度やり直す。この方法で、あなたを失敗に追いやった傾向をなくすことができる。」スワミ・シヴァナンダ

「失敗の続く季節は、新しい成功の種を蒔く時である。」パラマハンサ・ヨガナンダ

先日、男友達にメールを無視されて、けっこう精神的にこたえた。最近、「バッター三振」っていう感じで立て続けに3人にフラレていたテツコは、ささいなメールだけで落ち込んでしまう。翌朝、ひどいけだるさの中、目覚めた。

こういう朝の目覚めって絶望を感じるくらいブルーだ。別に良いことなんてないから、朝起きる必要なんてないではないか?なんて思ってしまう。年がら年中ポジティブではいられないのは分かるが、こんなにも報われない日々が続くことってあるのだろうか、もう3年もフラれっぱなしの日々を過ごしていると、いい加減、投げやりで、腐る一歩手前の状態である。

おかしいなぁ、以前はモテてたはずなのに。人生にモテ期は3回あるらしいのに。テツコには2回しか来ないのか?とにかく、その日は特に、ネガティブな気持ちで職場に向かった。

すると、その日、職場で良いことがあった。自分の成果が認められたのだった。話すと長いので、ここは割愛するが、人生ってまさにそんな感じだ。最悪の朝から、それを補うようなハッピーなことが起こることもある。マイナスを補えなくて最悪だけの日もたくさんあるけれど。

ただし、良いことがあると、なんで今日は良いことがあったのかな?と考える。テツコの思考回路はいつでもヨガ的に考えるである。

今日の良いことって、どこから来たんだろう。どういう行為から返ってきたのだろう。ヨガ頭のテツコは、どんな善行がこの結果をもたらしたのか、という因果関係を追求したくなるのである。

うーん、最近良いことしたっけなぁ。最近、職場の人間関係を少しは大切にしようって思い始めたところだった。それかもしれない。最近のテツコは、悪いことが起こると、それは現世のどんな悪行、もしくは前世のどんな悪行でこのような結果がもたらされたのか?なんて考える。

こんな感じで、日々善行・悪行について、考えながら生きている。正直、傷ついた経験は覆すことができず、つらい対うれしいは4対6の1日だったけれど、まぁ悪くはない1日には、なった。正直、そろそろ仕事ではなく、恋愛の成功が欲しいところだけれど、悪くない日々が送れれば、それはそれで満足だ。

現在、ヨガ頭のテツコは何か悪いことがあると、自分の悪行のせいだと、自分に責任を見出すようになっている。でも、もっとつらくなって立ち直れない日には、前世の行いがまずかったのだと前世の因果関係を持ち出しては、自分の責任ではないのだから仕方ないと言い聞かせる日もある。

そんな風に思い込んでは、毎日生きている。ヨガ頭を都合よく利用しているのかもしれない。

さて、ここからは、テツコよりも聖者たちのありがたいお言葉をいただこう。

スワミ・シヴァナンダは失敗との向き合い方を教えてくれる。

「自分の欠点や失敗にくよくよしてはならない。なぜ失敗したのかだけをよく考え、もう一度やり直す。この方法で、あなたを失敗に追いやった傾向をなくすことができる。」

テツコの場合、フラレた失敗の原因は、自分でよく分かっている。相手を知りたいと思ったり、自分を知ってほしいと思ったりっていう、そういう健気さが足りないこと、コミュニケーションを取って距離を縮めるのが面倒になって下手なこと、変な期待をしてしまう癖があることなどなどいっぱいある。

そうだ、そうだ、失敗から学び、トライアンドエラー、軌道修正を何度も繰り返せば良い。そうしていくうちに、次第に、失敗の傾向をなくすことができるというのだから。

パラマンサ・ヨガナンダも教えてくれる。(あのスティーブ・ジョブスも読んでいた本の著者の聖者です!)

「失敗を宿命として受け入れる人は愚かです。なぜなら、成功か失敗かは今生か前世のどちらかに獲得したものだからです。困難を克服するため一生懸命努力することによって、人は幾たびかの過去生で潜在していた成功意識を呼び覚まし、ついにはその成功意識によって失敗の傾向を圧倒するまで成功意識を刺激すべきなのです。」

やっぱり、聖者たちの言葉には重みがある。力がある。励まされる。勇気をもらえる。語り継がれてきた確固たる智慧がそこにはある。本当にすごみがある。成功意識を呼び覚ますまで、努力するのだ!

最後に、同じくパラマハンサ・ヨガナンダのこんな素敵な言葉。

「失敗の続く季節は、新しい成功の種を蒔くときである。」

失敗ばかりのテツコがとても前向きになれた。種を蒔く、芽が出ないこともあるだろう。それでも、種を蒔き続ける。華やかな花を咲かせることもあるだろう。

蓮の花は、泥沼に咲いてこそ、あの美しさを保てるという。泥沼にありながら、太陽に向かって、茎を人間以上の高さにまで成長させ、他のどの花も及ばぬ大きな花を咲かせる。人生の苦労・苦悩・苦難に耐えているからこそ、幸福な人生を送ることができるということを私達に伝えてくれているかのように。平等院鳳凰堂の蓮の花は本当にきれいだったなぁ。

蓮のように気高く生きたい。凛と、生きたい。失敗の後は必ず成功することができる。成功できないのは、継続をやめただけ。種を蒔くことをやめただけ。あなたは成功できる!ただし、結果に執着もしすぎずに、失敗トキドキ成功の気持ちで。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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