【ヨガ哲学の名言】インドの大恋愛

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タージ=マハルとヒンドゥ教の神様たちに見守られ

「真の幸福は自分の内にある。

幸せを外に向けるから不幸になる。」

スワミ・シヴァナンダ

東アジアを横断した恋心。大恋愛だった。日本からインドまでは約8時間。彼に会える!と思うと、飛行機の苦痛な時間さえ愛おしく思える、そんな恋だった。

これは、とある女性のお話。彼は日本人であるが、インドで働く商社マンだった。彼女は彼と恋愛した3年間、度々インドを訪れた。ほとんど会えないから、いつも会いたかった。それだけ。無性に会いたくて、彼の喜ぶ顔が見たくて、日本のお米を10キロも持参して飛行機に乗り込む。

「インドだってお米くらいあるんだから、わざわざ重たい思いをして持っていく必要ないでしょ。」とテツコは止めたけれど、それでも彼女は彼のためにと、献身的な愛と笑顔で日本からインドへ飛び立っていった。とても綺麗だった。

インドでは、デートでアゴラやデリーなど市内観光をたくさん巡った。その中でもやはり、タアージ・マハルは圧巻で、5代ムガル皇帝シャー・ジャハンが愛妃ムムターズ・マハルのために建設した、愛の結晶とも言われる世界遺産に圧倒された。シンメトリーの美しさに感動したものの、なぜか別れを予感させる不思議な感覚があった。

のちに、息子に王位を奪われ幽閉され、タージ・マハルを眺めては涙をしていたというシャー・ジャハンの運命は想像だにできなかったが、輝かしい大理石とは裏腹に、その実は霊廟というもの悲しさが感じられ、お墓のその場所で、彼との別れを意識しないはずもなかった。でも、たった3日間しか一緒に過ごせない蜜月期を大切に過ごしたかった。今となっては、シャー・ジャハンが愛妃と共に、葬られ眠っていることを知ったのはかなり後のことだった。

さて、「幸せ」と感じる瞬間は人生の中でそうあることではない。「心からの幸せ」ってほとんどないよね!オリンピック並みに4年に1度とか?いやいや、もっと少ないよと言う人もいるんじゃないかなぁ。よくよく考えると、「まぁ、そこまで不幸ではないから、そこそこ幸せかな。」ってそんな感じがリアルな気がします。おいしいものを食べたら、「幸せ~!」って言っちゃうけど、あれって、幸せなのかしら。

では、ヨガの聖者たちに聞いてみよう。ヨガ哲学においても、スワミ・シヴァナンダの名言で、こんな言葉がある。

「真の幸福は自分の内にある。幸せを外に向けるから不幸になる。」

確かに、幸せは内面にあるもので、外から得られるものではないのかも。外から得るものって、本当に刺激的だけど、幸せを感じられる期間が短いんだよね。なんか、得た瞬間から、終わりが始まるみたいな感じ。

だって、大恋愛は長くは続かなかったり、つきあい初めはめちゃめちゃ幸せだったのに別れてしまったり、結婚したって、結婚した瞬間は最高なのに、愛は保障されるものではかったり。お金ももらった瞬間はうれしくても、浪費すればすぐなくなるし、このご時世、仕事だっていつなくなるか分からないし。おいしい食べ物も食べてしまえばすぐ終わっちゃうし。って、幸せはあまりにも短命なのだ。本当に永遠なものはなかなかないよねー。

って考えると、外に求めれば求めるほど、幸せが短命なのは宿命なのかもしれない。だから、自分で勝手に内側から幸せを感じていた方が簡単なのかも。幸せは自分の中にあるから、自分が今、ここにいること、自分が今こうして生きていることだけで、こんな厳しい人生を生きているだけですごいことだし、満足できることだ。

こんな風に考えると、「じんわり」幸せになれる気がしません?『外からの幸せは「一瞬」だから、内からの幸せは「じんわり」長続きさせられる』って考えたのだよ、テツコは。←これはテツコの名言。幸せを外に求めようとしなくても、内側を見れば、ありのままの自分がいる。

ヨガを楽しめる自分がいる、ごはんをおいしく食べられる自分がいる、いっぱい寝て幸せと思える自分がいる。自分は心強いパートナーだ。これって、痛いことなのかなぁ。テツコは、こう思うと、自分を愛おしく思えるよ(笑)今日もしっかり生きてて偉いぞって(笑)

まとめです!外的要因から幸せと感じる瞬間は少なく短いもの。同時に、外側から得られる幸せって失われる危険性が高いということでもある。人生に変化はつきもの。

だから、失った時に不幸を感じるくらいなら、そもそも、得た時に幸せって思うよりも(思っちゃうけど)、日頃からつきあっている自分の内側にじんわりと幸せを感じていた方がずっと毎日幸せでいられるってことですね。外のものを欲しすぎる!とか逆に失いたくない!とか思い始めた時に、不幸に陥ってしまうのだ。

では、先ほどのインドの大恋愛に話を戻すことにしよう。

彼といられる時はいつも笑っていて、楽しくてたまらない、本当に心から幸せで人生で数少ない瞬間だった。正直、インドという国は合わなかった。湿気の多いべたつく暑さ、清潔には見えない道路、治安の悪さ、人ゴミ、雑多な街並み、正直、苦手と言っても良いくらいだった。それでも全く気にならなかった。

好きなものが目の前にあれば、人間というものは嫌なものにふたをすることができるってこと、身を持って知った。人間ってのは現金なんだ。

しかし、予感の通り、別れは訪れる。それから結婚願望の強かった彼女は別の相手と結婚した。もう彼女も32歳だった。小さい頃からウェディングドレスに憧れるそんな少女だった。その彼女にとって、結婚が人生のすべてだった

。だからこそ、身を引きちがれるような思いで、彼への想いを断ち切るしかなかったのだった。「結婚なんてできなくてもいい。彼といられるなら。」と何度も思った。それでも状況が悪かった。

「会いたくても会えない」ー寂しいー孤独

「結婚できるか分からない」ー苦しいー苦痛

「彼との未来を信じられない」ー虚しいー空虚

そんな堂々巡りの思いに心が蝕まれていった。会っている時はいい。でも帰りの飛行機はとてつもなく切なく涙が溢れた。こんな愛が続くのだろうか。というよりも、この辛さに耐えられるのだろうか。あんなに好きだったのに、あんなに幸せだったのに。好きすぎる恋愛は、心も体も疲弊していく。

日本とインドを何度も横断した恋心。彼を信じられるほど強くはなかった。彼の言葉を信じられるほど幼くもなかった。

こうして、別れはやってきた。今でも、彼女はあの時自分が選んだ選択が正しかったのか、考えてしまうという。彼女もまだ30代後半、人生を完全に肯定できるほどの年齢ではなく、まだ人生の途中。ヒンドゥ教のたくさんの神様に囲まれ、インドで過ごした熱い日々。あの頃にしか体験できなかった大恋愛。きっとこの選択もヒンドゥー教の神様の思し召しだと思うが、あんな恋はもう二度とできないと心から思うのであった。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

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