【ヨガ哲学の名言】恋の終わりを感じているあなたへ~別れたくても別れたくなくても~

yoga

恋の終わりを決定づける瞬間とは?<寂しさとの向き合い方>

「心を克服した人にとって心は最良の友であるが、心を克服できない人にとっては心こそ最大の敵である。」

バガヴァギット・ギーター

恋には終わりがある。限りがある。「いやいや、結婚して、今も私達は幸せよ?」と言う人たちもいるけれど、実はそれって少数派になりつつある。離婚率は日本は3組に1組、アメリカは2組に1組だという。しかも、上手く行っていないけど、別れられない人達もいるはずだし、やっぱり、同じ愛でも、恋愛中と結婚って違うと思う。

もう一度仕切り直し。恋には終わりがある。限りがある。制限時間がある。恋の後半戦に入ると、「終わりにしたい」「終わりになんてしたくない」と堂々巡りの日々もあるだろう。しかし、「終わり」は何かに違和感を抱えながら、2人の溝のように深く削られ、風船のように大きく膨らみ、パーンと破裂する。

「これが決定打だよ。」と、野球の試合ではないけれど、どんなスポーツにも勝敗を決めたターニングポイントがあるように、恋愛にも終わった瞬間が必ずある。背中を押される瞬間が必ずある。心に風が吹くんだ。

果たして、それはどんな瞬間か、それは、けんかの時にはっきり分かるのである。1つ目の例は、女子が怒ってその場を飛び出した時、追いかけてくれるかどうか。試しているようだけれど、恋愛で突発的な行動をとってしまって、結果的に相手の行動を試してしまうことってある。親の愛情を試す子供みたいに。

男子が「待てよ。」と言って追いかけて手を引っ張ってくれると、「この人、私を理解しようとしてくれてるんだ。」って思える。反対に、追い掛けられなかった時が、もうその恋の終わりのサイン。

テツコにもこの経験がある。拒絶したのはこちらなのに、拒絶され否定された気分に陥り、悲しくてたまらなかった。あの時の気持ちは一生忘れないと思う。心に冷たい風が吹いた。

2つ目の例はケンカした夜、いつものように一緒に寝るのだけれど、女子が外側を向いて眠った時、後ろから抱きしめてくれるかどうか。男子に背中を向けても、後ろから抱きしめてくれると、すべてを許してくれるようで、自分の背中のすべてが包まれて、彼の優しさに癒される。

反対に、男子も外側を向いてしまって、隣にいるのに心が離れている時が、もう恋の終わりのサイン。あんな空虚な気持ちは一生忘れないと思う。心に寒い風が吹いた。これも、テツコの経験より。

いや、風が吹いたのではない。心が傷つき、あまりの悲しみで自力回復ができなくなったのである。当時は、悲しみの意味なんて分かってなかった。回復できずに、終わりのサインの通り、恋は終わって行った。当時は、未熟すぎて、「悲しい」という状況を、言語化できなかったんだ。

自分が自分の心を理解できなかったんだ。そんな私の気持ちをクリシュナムリティはきちんと言語化して説明してくれるのである。

「悲しみの原因の1つは、途方もない寂しさです。」

「悲しみは寂しさである。悲しみは、誰かあなたが愛していると思っている人を失うとき起こります。悲しみはあなたが全的、完全に満たされないとき、あなたが機会を、能力を拒まれたとき、あなたが満たされたいと思っていて、それを実現する手段がないとき、あなたが自分のひどい空虚さ、さびしさに直面させられているとき、生まれます。そして悲しみは自己憐憫の重しをかけられています。」 

あたし、寂しかったんだ。満たされたいと思っていたのに、その手段がなかったから、悲しかったんだ。だから、恋を終わりにしたんだ。

一体、この寂しいという感情は、誰がもたらしたのだろう?誰が喜ばせたり、悲しませたり、両極の思いを我々に味わわせているのだろう??サイババは言う。

「喜びと悲しみはもっぱら自分の心次第」と。

ヨーガ・スートラでは、「心の作用を死滅させることが、ヨーガである」と冒頭に述べられている。心は厄介なものである。心は電気や猿や波など、様々なものに例えられている。

スワミ・シヴァナンダは心をこんな風に説明する。

『心は日々変化するのみならず、毎分毎秒カメレオンのように移り変わる。常に揺れ動く不安定なもの、それが心だと「バガヴァギットギーター」にも述べられている。心は刻々変化し、人は毎日新たな経験をする。今の信念や良心、善悪の判断は、10年後には変わっているだろう。』

そう、心はコロコロ変わるものだ。さっき泣いていたかと思えば、笑っているなんてことはよくある。喜びも悲しみも心が勝手に作り出しては、勝手に消している。それに気づくことが重要だった。

アシュターバクラ・ギーターでは、

「正や不正 喜びや悲しみ これらはたんに心が生み出すものあなたはそれらではない 行為をしたり、喜んだりするのは本当はあなたではない あなたは遍く存在し永遠に自由だ。」とある。

そうだ、心は自分ではない。心は勝手に動き回るもの。電気のように、一瞬にして喜びも一瞬にして悲しみももたらす。繰り返す、心はあなたではない。自分と肉体と同様、自分と心を同一視してはならない。

テツコに必要だったのは、このことに気付くことだったんだ。心に一番振り回されていたのは自分、自分を悲しませていたのも自分だったんだ。

先ほどの悲しみに包まれた時、「追いかけて」「抱きしめて」って自分から素直に言えば良かったんだ。悲しみは寂しさなのだから、何でも良いから、彼の肌に触れて、寂しさをうまく紛らわせればよかったんだ・・・。テツコは悲しみに負けたんだ。

いつだって、感情は心が決める。あなたが、あなたの心に振り回されてはダメだ。心の習性をよく知っておこう。心とのつきあい方をよく知っておこう。

バガヴァギット・ギーターでは

「心を克服した人にとって心は最良の友であるが 心を克服できない人にとっては心こそ最大の敵である」と書いてある。

心のことを良く知る親友になろう。そうすれば、あなたは自由になれる。自分の心が分からないから、つらいことってよくある。まずは、心をよく見て知ること、そして、元来、心は一瞬でコロコロ変わることを知っておくこと、更にそれを踏まえて、行動を変えること。

そうすれば、あなたは強くなれる。そして、幸せになれる!今日もヨガをあなたの隣に。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

タイトルとURLをコピーしました