恋をしようとすると、けっこう色々ある。
「嫉妬は愛ではない。所有は愛の破壊なのです。」
「愛のあるところに苦しみはない。」
クリシュナムリティ
アメリカ人と言えば金髪にブルーアイズ、小さい頃から憧れだった。小学校6年生の頃から「好きな芸能人は誰か?」と聞かれると、リチャード・ギアと答えていた、そんなおませな子供だったので、移民のユダヤ人が作り上げたというハリウッド文化は、強烈なまでに私を惹きつけた。いつかはアメリカ人と対等になりたい。そんな風に。
そこで、いつかは海外留学したいと願い、友達の友達に英会話レッスンを頼むことになった。英語を勉強するのと、アメリカ人と2人きりかもと思うとドキドキ感に拍車がかかった。
それから、前日に彼からメールがあり、「友達を連れて行くから。」と。心なしか残念ではあったけれど、この時、彼はきっとガールフレンドを連れてくるんだなと悟った。こんな時ばかり嗅覚が働くのである。
そこで、ファミリーレストランで待ち合わせすることになった。女性もきっとザ・アメリカンなんだろうなと思っていたが、予想に反して連れてきた女性はフィリピン人だった。一気に緊張感もほぐれたところで、自己紹介をすませ、英会話レッスンがスタートした。
ペンを借りる時、「MayI?」「いい?」など、面と向かっている時わざわざborrowなんて言わないんだなぁと自然な表現を学ぶのであった。女性は日本語にも堪能で通訳の役割も果たしてくれた。
二人の関係はというとテツコ古いよ的な言い方だが、友達以上恋人未満という様子で、お互い見つめ合っていて、思い合っているんだろうなぁという感じだった。翌日には、ディズニーランドに行くんだと楽しそうに話していた。
私の淡い恋の思惑は打ち砕かれることはなったけれど、一方で、実際には、テツコは外国人とはつきあえないタイプなのかもって思った。いや、アプローチさえされてないのに、勝手に考えるなんて、傲慢テツコ(笑)
それから数か月たつと、また、アメリカ人の彼と話す機会があった。気楽に「あの彼女とはどうなったの?」と聞くと、ダメになったと話す。すると、驚くようなことを言われた。
「君にジェラシーを感じたんだ。」「えっ?」耳を疑った。あんなに仲良かったじゃん。私の前で、めちゃくちゃ、イチャイチャしてたじゃん。
「Why?You love her.」私のつたない英語で答える。しかし、彼は強調する。「Jealous」
ジェラシーなんて、幼少時代に聞いた洋楽の歌詞の一部ではなかったのか!外国人から聞くと、妙に高揚する言葉でもあった。日本人は嫉妬やヤキモチとは言うが、ジェラシーとは言わない。とにかく、私のせいでダメになったと怒られた。本当、恐かった~。
私はタダで英会話を習いたかっただけなのに。違うか。期待してたか(笑)タダ程高いものはやっぱりなかった。さらに、彼女はこう言ったというのだ。
「 You want her.」と繰り返し言われたという。「あなたは彼女が欲しいんでしょ!」って感じなはず。学校でwantって結構、強い表現って聞いたぞ? さすが、英語圏の女性って強いわ。結果的に、私が2人の仲を壊してしまったみたいで申し訳なかったけれど、「君のせいだ。」と強く言われて、つらかった。人生は意図しない方向にいくものだ。
大人になって、怒られないけれど、久々に怒られたな~。でも、あれが外国ではコミュニケーションとして当たり前なのかもと思いつつ、やっぱり、日本人なら、もっと言葉を選ぶはずだけど、英語だからこその、直球ぶりには、外国人とつきあいたいなんていう、甘いものではないと、早々に知ることができた。国際結婚って、憧れとは裏腹に、本当に難しいっていうもんね。
そこで、恒例!ヨガ哲学では嫉妬はどのように考えられているのだろうか?
クリシュナムリティは
「ある人を所有していると考えることは私たちに自尊感情を抱かせる。嫉妬は、男性または女性を所有する手段の1つです。私たちが嫉妬すればするほど、それだけ所有の感情は大きくなります。自分が所有する、それも鉛筆や家ではなく人を所有すると考えることは、私たちに強くなったように感じさせ、奇妙な満足感を与えるのです。ねたみは他者のせいではなく、自尊感情のためです。」
おそらく、彼女は彼に愛されていたから、急に私みたいな彼女より若い女が現われたから、ムカついたのだと思う。「所有」が「嫉妬」という感情を生むのだ。子供の頃のケンカと同じだ。
「私のおもちゃなんだから取らないで。」子供たちは異様に「私のもの」という所有に、こだわる。成長段階なんだろうけど、姪っ子たちのケンカを見るにつけ、なぜなんだろう?と思っていた。子供って感情を隠すことができないから、「所有」を素直に主張するのだろう。大人は隠すから、「嫉妬」になる。
大人は「所有」を主張できないから、不満げに「別にいいけど。」とおまけをつけて、その場をうまく切り抜ける。「所有」から生まれる「嫉妬」をうまくコントロールできていない証拠だよね。
確かに、「所有」は気持ち良い。もし、イケメンや美人さんとつきあったら、あたしのもの!俺のもの!ってなるはずだ。自分もイケメンに美人になったかのように。でも、それこそが自尊感情の表れ、そのものだよね。
さらに、恋人に愛されてると、自分は愛されているから、相手が自分の思い通りになっているような気になる。愛と所有と嫉妬は、ごちゃまぜだ。コントロール不能になりかねない。ヨガ哲学では、努力次第で、心はコントロールできるのにね。
結果的にダメになったようだけれど、2人は本物の愛ではなかったのだろう。
クリシュナムリティの言う通り、「嫉妬は愛ではない。所有は愛の破壊なのです。」本物の愛なんてどこにあるかは分からないけれど。
最後もクリシュナムリティの言葉。「愛のあるところに苦しみはない。」
そうだ、本物の愛の前には苦しみはないはずだ。そもそも、本物の愛なんてどこにあるかは分からないけれど(笑)
今日もお読みいただき、ありがとうございました。