【ヨガ哲学の名言】彼氏やだんなさんがいてもいなくても大丈夫!あなたは完璧!

yoga

みんなすでに完全!今のあなたは完璧!

「欲望は愛ではありません。

欲望は快楽です。」

クリシュナムリティ

同棲していた彼との別れ話は5時間に及んだ。別れるって決まっているのに何を話すのかって!?引っ越しの日程、マンションの解約、鍵の渡し方、残った荷物についてなど、事務的な話ばかりをした。離婚ってこんな感じなのかなぁと思いながらも、ついこないだまで、「好き」と愛を囁き合っていた相手とは思えないほど、心の通わない機械的な話。こうして、愛が終わると、現実が残る。

その後、彼の仕事の愚痴の話。ちゃんと一人でやっていけるか、心配はしていたので、聞いてあげて楽になるなら、たくさん聞いてあげよう!という気持ちになっていた。虚しくも最後までテツコの方が彼に優しいんだな。最後までテツコの方が好きだったんだ。

彼は上司に思うところがあって、逆らってしまったという。私が家を飛び出し、3か月間全く会っていなかったことも影響していたのかな、彼の未熟さはよく知っている。

テツコは待っていた。その5時間、ずっと待っていたんだ。

「君が出て行って寂しかった。やっぱり好きだと気づいた。」とかそんな愛を感じられる言葉を。そんな言葉、一つもくれなかった。

ヨリを戻したいとかではなくても、最後くらい、甘い言葉を聞きたかった。ま、今思えば、最初から、そんなうまい言葉を言えるくらいの人なら、別れなかったんだろうなとも思うけど。

ヨガ哲学では「愛は与えるもの」だという。

彼の前に5年間つきあった彼氏からはたっぷりと愛を与えられていた。遠距離恋愛だったのに、毎週末新幹線で会いに来てくれた。当時、人に愛されるなんて当然だと思っていた幼いテツコを徹底的に甘やかしてくれた。ケンカしてもいつも謝ってくれた。

恋人や夫婦にはグレーゾーンというお互いの意見がぶつかり決して譲り合えないナイーブな部分がある。それでもだましだましやっていく、あるいは、少しずつ妥協する、少しずつ譲歩する、少しずつ相手のために変わってあげるというのがよくできた、うまくいっているカップルの特徴だ。どちらかが我慢しているだけの一方通行の恋愛はいずれ、息詰まる。

元彼の場合は、そのグレーゾーンをテツコが気づかないようにしてくれた。テツコを尊重し大切にしてくれた。まさに与えられた愛だった。それでも、テツコから別れてしまった。

ヨガスートラで無知とは「無常、不浄、苦、非我であるものを、常、浄、楽、我であるとみなすこと」であるという。末っ子として育ったテツコは与えられて当然と思って育った。与えられるのは当然、愛されるのは当然、若さも永遠だと思っていた。無知だった。それはそうだ。とんだ奢りだった。

この世の中、永遠なんてないのだから、今自分と関わってくれる人がいるだけありがたいことだ。彼と別れて、その次の恋が終わって、その後にようやく気付くことができた。おそらく3年もかかった。こんなに遅いものか。テツコはダメダメだ。

無知なテツコはもっと謙虚に愛と向き合うべきだった。私の愛は欲望だったのかもしれない。

クリシュナムリティも言う。

「欲望は愛ではありません。欲望は快楽です。」

サイババはこんなことを語る。

「欲望を減らしなさい。そうして初めて、あなたは幸せになれるのです。」と。

欲望だった愛はどこかへ行ってしまった。本物ではなかったから。テツコは本物の愛を手に入れる時が来るのだろうか。もう、ないかも(笑)時々、彼氏がいない自分を不完全だと感じる。欲望に溺れた記憶があるから、時々弱い自分が顔を出すんだ。あー、あたしは欠けてるんだぁなんて思ったりもする。テツコは基本、前向きで、落ち込まない人間なんだけどね。

だって、「ベターハーフ(better half)」って言葉があるじゃん。なんか、相手もいない自分は半分なんだってことを突き付けられるような言葉なんだよね。よくよく調べてみたら、ギリシア神話のお話から来ているみたいで、ゼウスが人間を半分に分けて、力を半減させたらしい。人間はその片割れを求めて、人生を歩んでいる。だから、その片割れを見つけたときは、相性ぴったり!ということ。

パートナーがいない人にはなかなか酷な言葉だよね。いつか出会えるのかなぁ、ベターハーフなんて思っていたもんなぁ。あれれ、テツコ諦めてる!?でも、人生はいつだって、今日だって、途中なのだから、これから、出会うかもしれないって、思えば良いのかもしれない。

でも、よくよく、ちゃんと考えると、彼氏がいてもいなくても、だんなさんがいてもいなくても、自分は自分でしかないし、それ以上でもそれ以下でもない。それ以外、何者でもない。だから、不完全なんて感じる必要なんて、まるでないんだよね。

負けないぞ!さぁ、自分を鼓舞しよう。

最後に、ブラフマンの偏在さと完全さを歌うマントラを紹介します。これは「イーシャー・ウパニシャッド」の中にあるシャーンティ・マントラで、ヨーガや学習が終わったときに唱えるマントラです。

 オーム プールナマダハ プールナミダン

 プールナート プールナムダチャテー

 プールナスヤ プールナマーダーヤー

 プールナメーヴァーヴァシシャテー

 オーム シャーンティ シャーンティ

 オーム それは完全なるものである これも完全なるものである

 完全なるものから完全なるものが生じた

 完全なるものから完全なるものが生じた後も

 完全なるものはそのままの完全な形でそのまま残る 

 オーム 安らぎが 平和が 静寂が (おとずれますように)

彼氏なんていなくたって欠けているものなど何もない。今のテツコこそ、完全だ。完全なテツコが今度はどんな人に出会えるか楽しみに生きていこう。それが、恋愛であっても、恋愛でなくても。失恋したばかりの人もこのマントラを唱えて、前向きに乗り越えよう!

今のあなたこそ、完全だ。彼氏がいてもいなくても完全。だんなさんがいてもいなくても完全。結婚してもしなくても完全。仕事をしていてもしていなくても完全。正社員でも派遣社員でもパートでもアルバイトでも完全。男性でも女性でも完全。太っいてもやせていても完全。背が小さくても大きくても完全。どんな個性だって、どんな容姿だって、どんな性別だって、どんな状況だって、何だって、今のあなたは完璧で、完全なのです。

現代人はとにかく「ないものねだり」で欠けているものや手に入らないものに目を向けすぎだ。そもそも、今そこにあるものに目を向けるべきなんだ。あるものに感謝すべきなんだ。大切にすべきなんだ。「大切なものは目に見えない」って星の王子様も言うけれど、そう、目に見えなくても今そこにあるものに目を向けるべきなんだ。なんてね

。マントラは神々に自分たちの願い事を叶えてもらうために何千年もかけて唱えられてきたもの。だから、きっと、伝統的なマントラにはきっと不思議な力がある。マントラを唱えるときのヴァイブレーションを身体で感じながら、自分のために少しだけマントラの不思議な力を信じてみるのもそれも良し。

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