【ヨガ哲学の名言】人間関係に悩むあなたへ

yoga

未来の苦はちゃんと回避できる!

「困難な道こそ確実で最短の道である。」

アイアンガー

人生は苦しい、これが仏教の出発点だ。

根本的な苦を四苦(生・老・病・死)とし、それに加え、愛別離苦(愛する者と別離すること)、怨憎会苦(怨み憎んている者に会うこと)、求不得苦(求める物が得られないこと)、五蘊盛苦(人間の肉体と精神)が思うがままにならないことの四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。

お気づきだろうか。愛別離苦や怨憎会苦など、人間関係にまつわる苦が多いのである。

テツコには苦手な同僚の男性がいた。礼儀だしと、最初は丁寧に対応し、適度にヨイショしながらお話しをしていた。すると、仕事をしたいのに話しかけられ続けたり、しまいには、飲み会の後に車で送ってくれと言ってきたりする。車は密室である。好きでもない人との密室は、とてつもなくつらい。やがて、セクハラまがいに発展してしまうこともある。

本当にきつかった。つらかった。今思えば、前もって、きちんと断るべきだったんだよね。なんとなく、一応上司みたいなものだしとか思うと、断りづらくて・・・。テツコの対応も悪かったし、テツコの心が狭かっただけかもしれない。(愚痴のようになって、すみませんです。)

もちろん、素敵な先輩男性もいる。きちんと仕事人として、女性に対して一定の距離をきちんと保ってくれつつも、仕事ができて頼りがいのある方々もたくさんいる。仕事のアドバイスをしてくれたり、仕事のフォローをしてくれたり、本当にプロフェッショナルで素敵な方々もいるのです。テツコの行いのせいなのか??

さて、はじめに戻すと、職場の人間関係に悩む人は多いのではないだろうか。その苦しみとは四苦八苦のうちの怨憎会苦(怨み憎んている者に会うこと)である。

クリシュナムリティは「人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。」と。人生は関係であるがゆえに、誰もが苦しみを経験しているのではないだろうか。もちろん、過去か現在かという時期の違いはあるにせよ、人は人間関係に苦しんだり、解決したりしなかったりしながら変化して生きている。

相田みつをも「誰にだってあるんだよ。人に言えない苦労が。」幸せに見える人も、何でも持っているように見える人もおそらく何か苦労を抱えている。表面的に人を見てはならない。

ただし、「みんな苦しんでいるんだ。」と聞いても全く癒されない重症なあなたには、アイアンガーさんの言葉ではどうだろう。

「困難な道こそ確実で最短の道である。」

テツコは世間でよく聞く「神様は乗り越えられる試練しか与えない。」という言葉にはあまり、共感できなかった。そう言われても「こんな私には乗り越えられないかもしれない。」もしくは「永遠に続くのかもしれない。」と不安感が増幅してしまうのである。

ただし、アイアンガー先生の「最短の」という言葉がどんなに励ましになるだろうか。たとえ、長期間に渡る苦しみでも、それでも「最短」なんだと思えば、頑張れる、それを日々積み重ねていくしかできないと思うのである。

最近では、テツコもヨガ哲学を学ぶようになって、思考が変わりつつある。少し嫌なことがあっても、「これは試練だ。いたしかたない。」と思えるようになったり、なにしろ「ヨガを伝える人間としてのネタができた!」とか思ったり、「この苦痛が乗り超えられたら、次は良いことがあるぞ。」と妙に都合の良い考え方もできるようになった。

そう、苦痛から逃げようとするのではなく、「この苦痛の意味は何か。過去のどの行為からもたらされたものなのか?」と考え、分析するようになったのである。考えても分からないことも多いが、明らかに「なんで私ばっかり!」という被害者意識には陥らなくなった。もちろん、試練は嫌だけれど、前ほどは試練も少しだけ悪いものではないと考えている。(本当か!?)

パラマハンサ・ヨガナンダは

「試練はあなたを破壊させるためではなく、神に対しより感謝できるためにやって来るのです。神がこうした試練をもたらすのではありません。あなた自身がつくりだすことによって生じます。為すべきことは無知の環境から、あなたの意識を復活させることだけです。今置かれている環境から来る困難は、あなたが過去のどこかで為した意識的、無意識的行為のせいで生じているのです。その責任を、劣等感を募らせることなく受け入れなければなりません。」と、「試練は破壊するものではない。」と教えてくれるのだ。

テツコには、スピリチュアルな友達がいて、彼女はいつもこんなことを言う。「今の苦しみは過去にヒントがあるんだよ。その過去を紐解けば、原因も分かるから幸せが見えて来る。」って。妙にヨガを知らないのにヨガ的な人なのである。そのように過去にヒントを得ながら、未来のヒントを得る。そう、肝心なのは今と未来だから、未来の苦をいかにどう捉えるか、が課題なのである。

ヨガ・スートラでも「ヨーガの修行によって除去すべきものは未来の苦である。過去の苦と現存の苦は除去すべきもののうちに入らない。いまだ現れていない未来の苦だけが除去すべきものである。」と書かれているから。

こう、重ねて「未来の苦は回避できる」とも書かれている。「回避できる!」本当!?苦しみすべてが回避できたらいいなぁ。苦痛は誰にだってしんどいもの。逃げたい。それでも逃げられないのが苦痛。逃げるのではなく、寄り添ながらつきあいながら。

佐保田鶴治先生は病気についてこんな風に言っている。これはなんだか、苦痛との向き合い方と似ているような気がする。「病気は敵だからやっつけてやろうという考え方で病気に対処するというのは、まずい対処の仕方である。病気は味方で病気になったということは、自分の内部の力が弱ったことを教えてくれたのだから、その部分を強くしようと考えた方が良い。」

苦痛に対しても、そのような態度で臨もう。アイアンガーの「最短」という言葉を励みに、ヨガ・スートラの「回避できる」という言葉を信じて。 

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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