カルマとは?人生いろいろ。人もいろいろ。
「カルマの法則は変えることも避けることもできないものです。人は自分の悪行の報いを受けなければなりません。何をしようとも、それが良いことであれ、悪いことであれ、それは自分に返って来るのです。
どこに行こうとも、自分の行為の報いから逃れることは不可能です。どんな行為をなそうとも、人はその行為の報いを味わわなければなりません。」
サイババ
告白、告白、ナンパ、好きな人の初めての自宅訪問。社会人独身者の「あるある」は平日は仕事に集中、週末はデートっていうパターンだ。今回の物語はテツコが体験したある4週間連続の週末の出来事である。
婚活ってものを始めてみた。出会いがないと思ったのか、会社とは違う人と会いたかったのか、平日の自分と気分変えたかっただけなのか、なんとなく、今、いわゆる適齢期(そもそも適齢期という言葉も死語になりつつあるけど)だから、後悔のないように動いてみようかなぁという感じで、始めてみた。
あの時は「結婚」というゴールに向かって、追いかけてみたって感じで、本当に、結婚したいのかどうかは二の次だった。新鮮な経験を求めて、という感じが強かったな。
ではでは、本題。婚活パーティに参加するようになって、とても驚いた。世の中にはこんなにも結婚したい人たちがいるんだ。女性は出産というタイムリミットがあるから多いのもうなづける。しかし、男性がかなり多いのである。何度か参加しているうちにコツ(コツについても後でまとめてみるね!)を掴んできて基本的に婚活パーティーに参加するたびに毎回カップルになることができるようになった。そんな時に2人の男性に出会った。
1人は年上の同じ大学出身の男性。同じ大学ってだけで距離が縮まった。もう1人はアメリカ育ちの韓国人。海外旅行が趣味のテツコには「いつかはアメリカに帰りたい。」と言っていた彼との出会いもとてもうれしいものだった。いずれ、アメリカに住めるかも?なんて、彼自身は全く見ておらず、それだけで、ウキウキだった。
どちらの男性も仕事と家の往復の平日では出会えない、婚活だからこそ出会えた男性だった。やっぱり、婚活は一応、価値はあるのかもしれない。出会いがないと、ヤキモキしているだけになっている人にはおススメです!実際に、結婚している人たちもいるもんね!
そこで、デートを始めた4月、連続の週末に、この2人の男性に告白された。本当に感謝感謝であった。すでに30代のテツコには女としての「枯れ時」が近いことは十分分かっていた。その上で、これからの人生を一緒に考えてくれる人が現れただけでありがたいことだった。
でも、「違う、違う。」という気持ちを止めることができなかった。婚活パーティの最後には第1希望から第5希望までの番号を記入するのだが、今思えば2人ともテツコにとって第一希望ではなかったからかもしれない。元々、一目惚れタイプなので、こういう出会いに違和感があったんだよなぁ。
今までのいわゆる「恋に落ちる」という感じなんて全くないし、盛り上がりに欠けるし。それでも今見えていない何かが見えるかもしれないと期待して、なんとなく2人と連絡を取った。でも結局、「好きじゃない」という気持ちが払拭できず、断ることにした。断るにも、とても体力を使った。結婚したいのだから誰かとつき合うのが一番なのに、心がついていかない。年齢も年齢だし、いわゆる妥協的な感じで付き合えば良いのに、心の方が無理で、もどかしかった。
極論、やっぱり、「好きな人じゃないと付き合えない」もんなんだな(笑)テツコは特にそうだ。愛されたい派ではない。能動的に恋愛したいタイプだ。だから、デート中に触れられると、「触らないで。」と思った。「恋愛ってもっとドキドキするものだ。」「触れたいと思うのはず。」「あー、こんなんじゃまるでダメだ。」と思った。こんなに孤独なのに、人生はうまくいかない。
そんなことがあって、その次の週、ふらりと行った本屋さんで「タイプだったので、メアド受け取ってもらえませんか。」と言われた。明らかに私より年下、うれしかった。でもメールはしなかった。恋愛ってこんなにも一歩通行だとダメなんだな。本当、不思議。
こうして怒涛に過ぎた3度目の週末。実は、テツコには少しだけ気になっていた人がいて、その彼が自宅に来てくれることになった、4度目の週末。やっと会えた。うれしかった。
その間、前者の男性は一度断ったものの、繰り返し連絡があったので、ある日、はっきり言おうと決めて、正直に「他にも会っている人がいる。」とメールした。すると、恐怖のメールが返ってきた。「浮気する女には祟りが起こる。」「呪われるぞ。」「浮気すると殺される。」とも言われた。衝撃だった。実際に面と向かって言われたなら、「ごめん、ごめん。」なんて笑える話でもメールの文面だと恐怖そのものでその夜は眠れなかった。
そもそもつきあってないし、浮気もしていないし、今思えばメールで伝えたから、いけなかったのかなぁ。祟り、確かに最近生きていても良いことがない。あたし、呪われてるんだー。
そういえば、「そんなことしていると、呪われるよ。」って友達にも言われたことがあるなぁ。でも彼らと会っている時、誰とも肉体関係さえ持ってなかったから、断じて清廉潔白なのに。つきあってもいないし、ただ時間をかけて好きになるかを待っていただけなのにな。
30代だし、もう二度と大恋愛なんてないって分かってる。だから時間をかけただけなのになんとまぁ、人生はいろいろだ。いろんな人がいる。
しばらく、「呪い」という言葉が脳裏から離れなかった。言霊は恐ろしい。それからしばらく「呪われた女」で過ごした。自分でもあの時のオーラは濁っていて、よどんでいたと思う。確かに良い大人だから、秘密がない訳ではない。誠実とは言えない行為もあったのかもしれない。だから、何度も何度も「呪い」が浮かんでしまう。自然と涙が出た。恋愛はこんな手痛い罰ももたらすのであった。
話を最初に戻そう。一人が嫌だからって無理に恋愛しようとしてはダメだ。そういう自分の心に蓋をするような生き方をしてはいけない。ヨガ哲学では、行為のことをカルマと呼ぶ。カルマは言葉の響きが強いけど、悪い行為・行動と決まっておらず、とにかく、人生における行為全般を言う。善い行為・行動も含みます。
サイババは語る。「カルマの法則は変えることも避けることもできないものです。人は自分の悪行の報いを受けなければなりません。何をしようとも、それが良いことであれ、悪いことであれ、それは自分に返って来るのです。どこに行こうとも、自分の行為の報いから逃れることは不可能です。どんな行為をなそうとも、人はその行為の報いを味わわなければなりません。」
そう、テツコには悪い癖がある。誰かに好かれている時には全く相手の感情を考えることができないのに、自分がいざ好きになると、自分の感情ばかり。そうやって、相手に優しくできないから、そんな目に遭うんだ。自分のせいだ。悪い習慣が悪いカルマを作っている。それではヨガ哲学的に、どうすれば悪いカルマを良いものに変えられるのか?カルマは来世にも影響を与えるもの。現世でなんとか変えなくてはならない。
パラマハンサ・ヨガナンダは言う。「悪い習慣は魂に一時的に苦悩をもたらす芽を接ぎ木するのです。もしあなたの善が悪より少し勝っていれば悪の芽はより大きな善のパワーによって取り去られます。しかし、悪が善より少しでも優っていれば、善はしだいに悪なる傾向によって飲み込まれてしまいます。これが自然の法則です。」
ふむふむ。悪は善を飲み込んでしまうのか。悪って強いのね。悪いカルマを断ち切るためには悪い習慣をやめること。そして、善行を積むこと。そうだよねー。分かっちゃいるつもり・・(笑)
最後に後日談。あの気になる人との恋愛はというと、これもまたの片思いで終わることになった。少し調子に乗っていたのだろう。「呪われた女」にもまさか幸せが!これがシンデレラストーリー!なんて期待したけど、それもテツコの悪い癖。変えよう!今日から変わろう。相手の気持ちを思いやれる人になろう。悪いカルマを断ち切ろう。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。